21歳女子、結婚話から逃げた私。悩んだ結婚はしない事。
家庭事情、弟のてんかんを持っておりましたので、私は、自分で何でも出来る子だと言う風に育っておりました。
両親は、自動車免許を持っておらず、私が、両親を田舎へ連れて行くのが、親孝行となっておりました。
事故後も、自動車の運転は、続けておりました。
進学校だったのですが、家庭事情を考えて、高校卒業後18歳からOLとして半導体の会社にて生産管理事務をしておりました。
21歳の時に会社の方からアプローチをかけてこられたからの優柔不断な態度で振り切る為に、又、会社のお局様からのイジメにあい、対人恐怖症と鬱病になりました。
仕事は、精一杯頑張りました。
しかし、成人式前に暴力団幹部の方(仮出所二日目の方)と交差点で車同士の交通事故に会い、失明寸前でした。
四六時中一緒だった会社の親友が、私が知り合った彼(結婚話の彼)を結婚された二次会で目をつけていた様で、紹介して欲しいと言っていた様でその親友はプライドが高く、それ依頼、私とは疎遠になりました。
しかし、一年間会っていませんでした。
会社は、予定より少し早い退社になり、対人恐怖症で会社に行けなくなってしまいました。
体が動かないんです。
あんな体験は、初めてでした。
又、頼りない上司と頼りない後輩で困っていました。
また、入社して私の製造部の部長が左遷されたと言う話を聞いてこの会社では、頑張って働いても無理だと分かっていたので、三年働いたら辞めようと決めていました。
だから、どちらにせよ三年で退社する予定になっていたので、構わないのですが、急に行けなくなるとは、思いもしなかったです。
それと同時に結婚話が持ち上がり、相手の方の家柄が立派な事に躊躇して死ぬ事を選んでしまっていました。
働けていたら、自分にも自身があり相手の家柄に対しても、躊躇も少しは、少なかったのかも知れません。
当時の自分には、自信を無くしているので、死ぬ事しか考えられませんでした。
そうです。
結婚話から逃げていたのです。
リストカット未遂・首吊り未遂・マンションからの飛び降り待機など、気が狂っておりました。
その時ばかりは、父が私が首を吊っている時に助けに来てくれました。
以前の会社のプローチをかけてきていた人からは、深夜に心配してか電話がかかってきておりました。
その方は、元カノとよりが戻って幸せそうでした。
その彼とは、田舎も一緒だったので、田舎で会ったりしていましたが、一線は超えられない言葉がありました。
私は、結婚前の思い出作りの一人でしかないんだと思いました。
それを、分かっていたので、絶対、体は許せなかったんです。
思い出作りの相手にはなりたくなかったのです。
私に、彼氏が出来た事を伝えた時に電話の向こうには、彼女がおられた感じでした。
結婚話が出ている彼氏は、私と会う日に会えないと連絡したら、自宅まで来て連れ出してくれたんです。
凄く優しい人ではありました。
生きていこうと決める前には、一年半かかりました。
暗い部屋でテレビも見ずに寝て過ごしていました。
夕方から、近くのマンションに待機していたりした日もありました。
一応、同時期に、マタニティーブルーで同じ精神神経科に友人と母と行っていました。
ちょっと距離があったので、母の職場の方が、そちらの方に帰られるのを利用させてもらったりしました。
マンションからの飛び降りが(マンションから飛び降りるとマンションの住人の方に不快な思いをさせてしまうなど考えると)出来なかった最後を機に、生きていこうと心を入れ替えて、彼からのアドバイスで中型二輪車の免許を取得し、アルバイトで運送会社に働き始め、三日目で無断欠勤してしまいましたが、会社の上司から電話を頂き、遅れて出勤しました。
この会社の上司の方からの配慮が無かったら続かなかったと思います。
この会社でも、精一杯働きました。
それを、見ておられた相手側のお父さまが、ろそろ結婚したらどうだと言う事で、結婚をする決心をしたと共に家庭に入るとやりたい事が出来なくなるのではと思い、この運送会社を16時で退社させて頂き、夜間の製図学校にも行くようになり、ハードな生活を送っておりました。
運送会社を退社し、製図学校卒業から、仕事を変えました。
結婚後も働き、充実しておりました。
鬱はこれで、乗り越えました。