26歳女 できる範囲での仕事を始めた事により回復 毎日穏やかです
元々中学生の頃からうつ病の気はあったのですが、思春期ということもありうつ病と断定されることはなくスクールカウンセラーとの週一回談笑する程度でした。
それは高校生になっても続きましたが当然のことながら大学進学と同時にカウンセリングしてもらう機会もなくなり、鬱々とした気持ちを誰に話すこともなく日々が過ぎていきました。
元々自身のことを”うつ病“とは思っておらず悩み過ぎたり時折ヒステリックのようなことを起こしたりといったことは、自分が人より精神的に弱く劣っているから駄目なんだと心の底からそう思っていました。
なので誰かに自分のことを話したり、もちろん病院に行ったりということもなく大学生活を進めていました。
そんな生活が長く続くはずもなく…元々抱いていた自分自身への悲観的思考、自己肯定感の低さ、新生活での不安、その当時依存対象であった彼氏の裏切り、それらが重なって精神の器から全ての感情が溢れだして制御できなくなり電車に飛び込もうとしたのです。
しかし最後の一歩が踏み出せず、死ぬこともできない自分への苛立ちと絶望が止まりませんでした。
そんな時に頭に出てきたの母親の顔でした。
ありがたいことに私の母は全てのことは理解できなくても、幼少の頃から鬱屈とした私の心を理解しようと努めてくれた人でした。
自分のためには生きる意味を見出だせなくても、いつでも味方でいてくれた母のために生きよう、これがもし病気であったなら治す努力をしてみよう、と病院に行く決意がもてました。
そこでうつ病であると診断された時は悲しさと同時にどこかホッとしたような気持ちもありました。
ああ、これで薬を飲めば治るのだな…と。
しかしそこからがまた長い戦いでした。
睡眠障害、薬での副作用、増え続ける薬…大学を中退した上に家事もできずただ家にいるだけで何もできない自分に対しての更なる失望…何度も諦めそうになりましたが、今は人生の休息時間なんだと割りきり過ごしているうちに少しずつ外出することもできるようになりました。
そのわずかながら回復した体力と気力で短期のアルバイトをしては社会復帰への自信へと変えていき、21歳の頃にはフルタイムで働くまでに回復し、そこから現在まで転職等はしたもののなんとかうつ病の薬からも卒業して生活しています。
後悔してることといえば、近所だからという理由でしかクリニックを選ばなかったことです。
そのクリニックは大量の薬を処方することで有名だったのですが、それが薬からの脱出を遅めたように思います。
なので、できるだけうつ病患者一人一人の病状と向き合い、一日でも早く回復できる術を取ってくださるお医者様とうつ病で苦しんでいる方々が出会えることを祈ります。