私が実際に体験したパワハラ上司の末路を紹介したいと思います。私はある大手のメーカーの技術部門に勤務していました。その会社では事業部制を導入しており、私の所属していた事業部で起こった話です。所属していた事業部の技術部門にはいくつかの課があり、私はその一つの課で課長を務めていました。そしてパワハラ上司となる人は、別の課の課長で、私と部長の座を争っていました。結局私は部長に昇進できず、後にパワハラ上司となる人が部長に就任しました。私がその人の部下となったのです。その新たに部長となった人は、人の好き嫌いが激しく、しかもそれが目に見える形で、嫌いな部下には嫌味たらたらで、世間で言うパワハラ上司でした。北海道の交際クラブを利用しているというウワサもありました。パワハラを受ける事の無い部下は、その上司にたてつく事なく、イエスマンだけでした。そんな人物が私の上司となり、競い合い、意見具申を行う私が煙たく、1年ほど経った頃に別の事業部に追い出されました。口で攻めたてるパワハラではありませんが、これほどの報復的パワハラはないともいます。その頃、ちょうど会社全体の経営状態が少し下降気味でした。私は新しい事業部の技術部門の責任者に認められ、異なる事業部の考え方の利点をマンネリ化しがちな事業部に注入するために、サポート役として徴用してくれました。一方で、私を切り捨てた部長は、どうした事か事業部長に昇進したのです。元の事業部の部下達は、その人事を見て、これで自分達の事業部はおしまいだと感じたようです。そんな中で会社の状況はさらに悪化し、元居た事業部は急速に経営悪化して行きました。パワハラ上司がトップに就き、自分の地位を脅かす危険がある部下や同僚を切り捨ててきた結果、残ったイエスマンの部課長では、事業部の経営を立て直す事はできませんでした。こうしてパワハラ上司は事業部長の座を2年足らずで明け渡し、閑職に異動し、そのタイミングで実施された早期退職で会社を去りました。その人物が会社を去る時、長く所属し、事業部長まで務めた事業部における送別会は寂しいものだったと伝え聞きました。部下達がその人物をどう見ていたかが、そんなところで明らかになるものです。早期退職した人物は、事業部長時代に付き合のあった中国企業とタイアップして新たな事業を起こしたのですが、結局退職金を注ぎ込んだその事業は失敗に終わったと聞き及びました。そして、それ以降その人の話題を聞く事は全くありません。