パワハラ上司を成敗したハケン社員

機械メーカー勤務の29歳OLです。
私が2年前に今の会社に転職するまで働いていたベンチャー系の会社で上司だった男性課長(当時35歳くらい)がとんでもないパワハラ野郎でした。
営業セクションだったので、全体的なムードとして体育会系というか、イケドン系な感じではあったのですが、課長のマネジメントは古き悪しき軍隊的なやり方で、部下の男性営業マンたちに対する暴言がすさまじいのが日常でした(ボケ、カスは当たり前、死ねとかぶっ殺すとか、さらに人格を否定するような内容も)。
傍で聞いていて、本当に気分が悪いものでしたが、暴言を受ける営業マンたちは、もう諦めているというか、とりあえず謝ってその場をやり過ごすという感じで、我慢をしていました。
それとは別にタチが悪かったのは、派遣社員の人たちへの態度です。
常時2~3名の派遣社員の方々がアシスタントして就業してくれていましたが、課長がネチネチとパワハラ的な扱いをするので離職率が非常に高く、常に人が入れ替わっていました。
具体的なパワハラとしては、社員である私たちとあからさまな差別をし、古くて汚い事務用品しか与えない、名前をわざと憶えない、ちょっとしたミスをすると大きな声で「即戦力のハケンさんがこんなことでは困りますなぁ!」「どこに目をつけて仕事してるんだよ!無能はハケンは要らないんだけどなぁ」などと嫌味を言うなど、枚挙にいとまはありません。
派遣社員の人たちも相当悔しかったと思いますが、立場が弱いので表立って抗議することもできず、だまって退職していくという繰り返しでした。
私たち女性社員もなんとか助けてあげたいと思っていましたが、やはり自分の立場のことも考えてしまい、自分がパワハラのターゲットになることが怖くて何もできませんでした。
しかし、そこに救世主があらわれたのです。
ある日、新しく着任してきた派遣社員さんが、いつものように課長に取るに足りないミスについて「ちゃんと仕事しないとお金払わないよ」とか「またザンネンなハケンさんがきちゃったなー」などとハラスメント発言を受けたところ、
その派遣社員さん「お言葉ですが、仕事の指示をほとんどしていただけないにも関わらず毎日いわれのない責めを受け、人格を否定するような発言も多いので、これから人事部にお話に行ってまいります。ちなみに課長の問題発言は、私に対するものも他の方々へのものもすべて記録もつけていますので」と毅然とおっしゃり、そのまま人事部へ。
その後事態を重く見た人事部は我々社員にも聞き取りを行い、重篤なハラスメント事案と判断し、翌月には課長は地方の営業所へ。。送別会もない悲しい旅立ちでした。
ちなみジャンヌダルクのようなその派遣社員さん、みんなから救世主だと感謝されていましたが「当たり前のことを当たり前に行っただけです」と涼しい顔をして仕事を続けてくれていました。
私もそんな風になりたいなぁと憧れつつ、転職した今の会社では正しいことを正しく行うことをモットーにがんばっています。

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バカな上司と普通の人

初めまして。
パワハラ上司並びに上位社員による嫌がらせを受けて休職中の者です。
とりあえず、私の部署は正直、掃き溜め場です。他の部門で使えなかった奴らが流れてきます。一方では実は専門性もあるため、バカにして来たとしてもすぐに仕事ができるわけではありません。
さて、そんな人が来てすぐにすることは、弱い者イジメです。だって仕事がなくて暇だから。午前中に来て、午後は遊びに違う階へ行って、適当に帰り、風俗行って帰る太鼓持ちばかり。

とある日、隣の部署の人がその上位社員に対して、何もわかってないし、馬鹿みたいに大声上げて何やってんだか、、、という話を聞いて、イマイチなやつだったということが客観的に見ても頭が悪いことが分かりました。
岩手の縁切り寺に行ったあとにわかったことですが、他の社員からも、あいつ仕事したことあるのかなぁ、と思われていたようでいらない社員は全く迷惑だな、と思いました。
いっぽはパワハラ上司も、不正にお金を使っており、自分だけがお金を使って、部下たちには全く予算を与えません。自分の出張費、飲食代は自分で使っていたため、社内で訴えられました。
奢れるものは久しがらず。
全く上手く行かない組織は、さらにだめになっていくでしょう。部署の優秀な社員はどんどんいなくなり、もはや部門存続も時間の問題。早くそうなってほしいな、でないと今までいた人たちが報われない、、、
また、逆に自分が強くなった気がする。弱い者イジメをするやつは、別のヤツにイジメられる、もしくは相手にされない。正義が実証されたわけだ。じぶんはそんな人間にはならないし、なりたくもない。
この状況で一体何をすべきなのか、それはただ、人を尊重し、向き合い行動することでそれを人は見ているのでそれを忘れてはいけない。
逆にいい事をすればそれは見ている人にも伝わるのだ。自信を、失わず前に進む。それで自ずと答えは見えてくるのだ。バカとハサミは使いようと言ったものだが、おバカを俯瞰しながら業務を行うことにした

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パワハラ部長、社員に訴えられて倉庫番!嬉しさ半分、哀れみも!

僕は四十代の会社員です。会社では営業の仕事をしています。
去年まで僕がいた部の部長が絵に描いたようなパワハラ上司だったんです。そのパワハラ上司の下で僕は五年も仕事をしていました。我ながらよくまあ、五年も耐えたよなと思ってしまいますね。
その上司、とにかく気分屋。機嫌が悪い時は近寄らない方が正解なんです。顔が険しい時は下手に話しかけると、いろんな言いがかりをつけられてすぐに怒鳴られます。月末も本当に最悪でした。営業成績が達成出来ないと、職場全体に聞こえるほど大きな声で怒鳴られます。自腹を切って売り上げ稼げとか、借金して自腹を切れなんて事さえ言われます。ある時は、部長の目の前で親戚全員に電話をして我が社の製品を今すぐ勝ってもらえなんて言われる事も。その部長、同じ職場で結婚をした夫婦に対し、いかに旦那が仕事が出来ないか奥さんの方に嫌がらせのメールを入れたんです。そのメールの内容が実にひどい物でした。旦那の人格を否定したり、夫婦を完全に馬鹿にする内容でした。
やっぱりそのメールは夫婦のこの上ない怒りを買ってしまったんですね。夫婦はそのメールを手にすぐに弁護士に相談に行きました。すると弁護士は記者会見を開き、パワハラ上司のそれまでの悪行三昧を世間に公表したんです。僕の勤めている会社はそれなりに知名度があります。そんなパワハラの見本市みたいな話は瞬く間にマスコミに取り上げられました。なんでも会社の広報には世間から抗議の電話が殺到したらしいです。それにその年の新卒採用は応募者が大激減です。
さすがに会社もこれには困ったようですね。パワハラ上司は会社からとことん突き上げられたようです。僕たち他の社員も会社からパワハラ上司の被害に遭ってないか、ヒアリングを受けました。もちろん、僕も山梨の縁切り神社に行ったあとに、自分が今まで受けたパワハラの事を全部話しましたけどね。
それからパワハラ上司はすぐに異動になったんです。異動になった先は、会社のグループ会社で、在庫を管理する倉庫会社に出向でした。しかも出向先では部下はいなく、広い倉庫の中に机を1つ置かれて一日中そこに座っているというもの。ある時、所用があってその倉庫に行った同僚がその元上司を見かけたそうです。そこには以前のような強気な上司の姿は微塵もなかったようですよ。広い倉庫にポツンと一人で座って下を向いていたようです。少しは反省してるんでしょうかね。
その話を聞いた時、僕の心の中では嬉しさももちろんありましたが、一方で哀れみやちょっと気の毒な気持ちもありましたね。まあ、人間、間違った事はしちゃいけないという事です。僕もその元上司を反面教師にして正しく生きて行こうと強く思いました。

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基本的には毎日家でゲームを楽しんで

現在は食品関係の会社で配送ドライバーとして働いている27歳男性です。

そんな私は群馬の宝くじ当選者が購入した売り場で定期的に宝くじを購入しているのですが、今回はもし年末ジャンボ宝くじで10億円が当たったら自分ならどうするか考えてみたいなと思います。

まず仕事については10億円という金額であれば余程の無駄遣いをしない限りは、自分と家族が一生働かなかったとしても十分に生活できる金額だと思います。

また私は仕事に対して愛着はほとんど無くて大金が入ったら即辞めても良いくらいに考えているので、仮に10億円が当選したら仕事は確実に辞めると思います。

ただ急に仕事を辞めたり金遣いが荒くなったりすると周囲にバレて危険な目に遭わないか心配なので、1年くらいは我慢して仕事を続けると思います。

その上で現在は新潟県で暮らしているのですが、周囲には転職すると偽って仕事を辞めて東京辺りの知り合いがいないところに引っ越します。

現在の私は27歳なので今後60年生きると仮定すると月に100万円のペースで使ったとしても7億2000万円くらいの計算になるので、そんなに贅沢はしないでちょっと良い感じの家を購入してそこに住もうかなと思っています。

ただ当面は東京で生活すると思いますがハワイ等の海外も悪くないと思うので、しばらく頑張って英語などを勉強してから海外に移住するのも悪くないかなと思っています。

そんな感じで仕事を辞めて東京辺りに引っ越したら後は好き勝手にやろうかなと考えていて、恐らく毎日自由に遊び続ける感じになると思います。

基本的には毎日家でゲームを楽しんでたまにジムに行って体を鍛えて、気が向いたらどこかに旅行に行くみたいな生活を送りたいです。

私は母子家庭で育ってきたので子供の頃はあまりお金が無かったですし、現在もそんなに給料は高くないのでお金に余裕があるとは言えません。

そんな感じなので急に10億円が当たったらどうなるか想像もつきませんが、もしも当たったら一生働かずに済む夢のような人生を送りたいです。

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10億円当たったら、将来の不安を考慮しながら生活の安定のために使いたいです

私は数年前に50代に突入した独身男性です。

現在は、実家の自営業を手伝いながらクラウドソーシングにも励んでいますが、つい最近まで病気がちで思うように仕事ができず、長い間失業状態にありました。

そのようなことから、ようやく最近になってから、つらい無職生活から脱しつつあるのが現状です。

ところで、仮に、石川の宝くじ当選売り場で今年の年末ジャンボ宝くじを購入して1等前後賞あわせて10億円当選したら、まさしく地獄から一気に天国へかけ昇る心地になるでしょう。

なぜなら、数年前まで身が細るような極度の節約生活を強いられていたからです。

さて、10億円という途方もない金額ですが、今の私としては、とりあえず死ぬまでの生活費に充てたいと思っています。

両親の介護問題、日本と世界情勢の不安定化、そして自身の健康状態を考慮するとこれから生きていく上で経済的な不安はつきることはありません。

ですから、貯金はいくらあってもいいのです。

もちろん、長い間失業状態にあったのですから、失ったものを買い足す必要も出てきます。

たとえば、自家用車は実用的な中型車でいいので購入したいですし、古くなったオーディオ製品やテレビ、パソコン本体やパソコン周辺機器なども買い直すでしょう。

それと、10億円あるのですから少しくらいの贅沢もしたいものです。

山紫水明の里にある温泉旅館に泊まって、1週間ぐらいゆっくり養生するのなんか最高ですし、今まで食べることができなかった、高級寿司やうなぎを食べに行くのもいいかもしれません・・・。

そして、こじんまりとした家を建てたいものです。

しかしながら、大金を手にすると、いいことばかりではないはずです。

人から妬まれることを考えると、当選したことは黙っておくと思います。

また、大金を手にすることで放蕩生活に陥る危険性もあります。

よって、計画性のある家計運営のできるお嫁さんを探す必要も出てくるでしょう。

そして、子供を作り安定した家庭を作りたいと考えています。

私はもともと貧乏性なので、今は、1億円ほどしか使い道を思いつかないのが本音です。

残りの9億は、後々の家族の繁栄のためにとっておきたいと考えています。

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まずはスマホの買い替え!それから増税前に毎日使う家電の買い替えを

私は現在20代の男性で、会社員をしていますが区分上は正社員ではなく、収入に関しては同世代に比べると少し劣るといったところです。

コツコツと貯金はしていますが、やはり大きな買い物をするほどの余裕がない時もあります。

加えて雪国に住んでいることもあり、これからの季節は暖房費が増え、車のタイヤ交換やストーブの検診など必要な費用は増すばかり。

ここは一発、何億とか何千万など高望みはしないので宝くじでも当選すればと夢をみてしまいます。

もし宝くじに当選した場合、まずはスマホを買い換えたいです。

現在iPhone6を使っているのですが、もう何年も前の機種なので最新の機種に比べると機能や処理速度などに大きな差があります。

iPhoneよりも安価なスマホが販売されているのは分かっていますが、私は4sから今日までiPhoneを使用しているので、機能や使用感等を含めて今更他に変えたくないこだわりもあります。

最新の機種より一つ前の機種でも全然構わないのですが、やはり機種代が高騰していることもあり、毎年新しい機種が販売されアップデートされていくので、なかなか買い換えるタイミングを掴めずに今日までやってきてしまいました。

なので、宝くじに当選して金銭的余裕が生まれたら、何の迷いもなくスマホを買い換えることができるでしょう。

それから、いくつかの家電も買い換えたいと考えています。

これから消費税の増税も控えているので、できれば早く買い換えたいと思っている家電がいくつかあります。

ほぼ毎日使用する炊飯器と掃除機といった主力クラスの家電が購入してそろそろ五年くらいが経過することもあり、衰えが著しい今日このごろです。

炊飯器は蓋の閉まりや温度調節機能に劣化が生じ、炊きムラがあったり保温していた米の劣化が早くなったりと寿命を感じています。

掃除機に関してもヘッド部分に内蔵されているブラシが正常に動作しなくなり、きちんとゴミや埃を吸い取れなくなっており、掃除機の役割を果たせなくなってきています。

どちらも有名メーカーの商品でも安価なものがありますが「機能は劣化しているけど、まだ使えるからいいや」と買い替えを先送りにしてしまっています。

ですが、こちらに関しても金銭的余裕があれば「よし、今すぐ買い換えよう」と決断できると思います。

私は基本的に会社と家の往復がルーティーンなので、これといって大きな趣味もありません。

なので、今必要だと思うスマホや家電の買い替えさえできれば、それほど大きな金額の当選は望みません。

あとは貯金にいくらか回し、何割かを実家におすそ分けできれば十分かと思います。

高級外車や土地、物件の購入といったことや派手な旅行といったものには興味がないので、堅実に、必要なところに正確な使い方ができればいいですね。

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54歳女 20代の経験で人格形成に転機が訪れた

現在、パート主婦、娘一人、家族3人で生活しています。
これは私が20代前半の頃の話です。
私が10代の頃、自分に自信がなく、人見知りでしかも親とは
あまり関係性がよくなく、何かと言うとすぐ批判され、私自身を認めてくれないような親でした。でも親の言うことを聞いていればとびきり甘やかしてくれるそんな母親。
だから親の前ではいい子でいて、心中は自分が嫌いで、反骨心もあるのに、人前では社交的にもなれない。そんな自分が嫌で
性格を変えたいと常々思っていました。
高校を出て就職し、北海道の当る占い師に相談し、服飾の販売の仕事に就いてから
少しずつ社交性を身につけ何とか人前でも話せるようになったけど、なんだか見せかけだけ。そんな自分も大嫌い。
親に批判されてばかりいた自分の性格がそうそう変わるわけでもなく、好きになるわけでもなく、かなりネガティブな毎日を送っていました。
そんな20代になった頃、体調を崩し、販売の仕事を辞めて
暫くアルバイトでもしようと選んだのはレストランBar
接客業でもお運びのウエイトレスなら出来るだろうと
軽い気持ちで仕事を始めました。でもこの店、レストランというよりカウンター主体の完全なるBarで、お客も独りでふらっとお酒を飲みに来るようなお店。当然カウンターの中で
お客を相手にするには話をしなければならない。
当たり障りのない話からトークスキルを磨いて
いつの間にか人当たりのよい自分に変身した。
過去の自分と正反対だった。毎日がお酒と共に楽しくてすごく充実していた。
でもそれはお酒の力もあったと思う。お酒を飲んでいる間は
テンション上げ上げの自分。飲む前はネガティブな昔の自分。
いつのまにかどれが本当の自分か解らなくなり、そんな自分に恐怖を抱きました。でも、どれもありのままの自分を受け入れてから自分自身が楽になりました。この仕事は大変でしたが私にとってとても重要な体験だったと今でも思います。
まあ後悔するとするならば、お酒でずいぶん醜態をさらしたのは未だに黒歴史になっています。それもまたよい人生経験かな?
それがあるから今の自分があると思っています。

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29歳女性、豪州ワーホリで在住国もキャリアもチェンジ!

29歳女性。もともと海外在住だったのですが、思い切って仕事を辞めてオーストラリアにワーキングホリデーに行きました。当時は、東南アジアの途上国にて企業勤めでした。現地採用でしたが、やりがいのある仕事をいろいろ任せてもらえ、充実した日々を送っていました。しかし、年齢のせいもあるのでしょうか、気づかぬうちに身体は疲れていたのでしょう。徐々に病院に通院する機会が増え、元々持っていた呼吸器系の持病が悪化してきたときに、ここで一旦一休みしてもいいのではないかと思いました。それを東京の除霊ができる霊能力者に漏らしたら、「あなたはまだ若いし、年齢制限にも引っかからないのだからこの機会に、その権利を使ってみたらいいのでは」と勧められたのがワーキングホリデーでした。はじめは、ワーキングホリデーは名前の通り、「ホリデー」だし、すでに社会人として長く勤めていた自分が今更20歳前後の若者たちに混じってまで…という先入観がありました。しかし、ここで日本に帰っても、当時は冬、寒さが苦手の私はオーストラリアに渡航することを決心しました。

もともと上級の英語力はあったのですが、この機会に、語学で身を立てられるようにと語学学校の最上級コースに通い、英語の資格試験に向けて猛勉強しました。毎日覚えることがたくさんあって大変でしたが、久しぶりの学生生活をエンジョイしました。最上級コースともなると、将来現地の大学院やMBAに本気で合格を取りにいくようなモチベーションの高い外国人が多く、国籍やバッググラウンドも多様で、クラスメートたちとの交流は宝物になりました。無事に英語試験に合格、自信をつけ、フリーランスの仕事を始めることができました。そして、その時に出会った欧州人のパートナーと、一緒に欧州に戻り、今は欧州で生活しています。後悔していることは特にありませんが、オーストラリアは物価が非常に高く、特に家賃はシェアルーム(シェアハウス)でさえ高いので、そのあたりの覚悟をもっとしておいたら最初の1ヶ月に散財しなかったかなと思います。仕事や住む場所、パートナー、全てが以前と変わり、私の人生が大きく変わったと言えます。

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35歳女性 学生時代の海外活動をきっかけに生き生きした自分へ変身!

私は35歳主婦でもう時期一児の母になります。現在はすっかり落ち着いた専業主婦の生活をしていますが、大学生の頃から20代の頃は「今したいことをする!」がモットーのように、学業や仕事や千葉の復縁祈祷をしつつも、長期休暇を取っては世界各国を駆け巡ってボランティア活動やバックパッカーを繰り返していました。アクティブに世界中を飛び回るきっかけとなったのは、大学生2年生の頃に、ピースボートというNGO団体の「地球一周の船旅」のポスターを眺めて、なんとなく問い合わせたことでした。その頃の私は、大学の授業以外にバイトくらいはしていましたが、もともと入っていたサークルもやめて、なんとなく日々に物足りなさを感じていました。「何か、今しかできないようなことに新しく挑戦したいな」とぼんやり考えていたところでした。しかし、地球一周だなんていきなり大き過ぎるチャレンジのようにも感じました。ですが、問い合わせた際にスタッフの方から「ボランティアセンターの事務所にぜひ気軽に遊びに来てください!」と言ってもらえたので、本当に気軽に立ち寄ってみたのです。すると、その場所には学生から退職した年代の方々など幅広い世代の個性的なメンバーが集まっていて、特に取り柄のない私を本当にあたたかく歓迎してくれたのです。その、明るく開けた雰囲気がとても新鮮で楽しく、私は、今後地球一周はできるかわからないけれど、まずはボランティアスタッフとして通い始めました。それから毎日のようにボランティアスタッフとして通い、すぐに仲間ができ、徐々に海外への関心も増していきました。思い切って、両親に大学を休学して地球一周の船旅に参加したい旨を相談しました。初めは猛反対されてしまいましたが、何度も説得を続けて、最終的には快く応援してくれることになりました。それからは、本腰を入れてボランティア活動を進め、ボランティアスタッフ割引なども利用することができた上で、遂に地球一周の船旅へと参加しました。約100日間の船旅では、船内でのイベントも、世界各国での現地交流や観光も、どれも本当に刺激的でした。たくさんの人と出会い、たくさんの初めての国の景色を目の当たりにし、各国の食を堪能し、「なんて世界は楽しいのだ!」「なんて人生は楽しいのだ!」と生き生きとしたものでした。忘れられない経験をたくさん積んで帰国した私は、その後の残りの大学生活で、旅で学んだことを研究発表したり、バイトをしてまた旅資金を貯め、新たな国へと一人旅に出掛けたりを繰り返すようになりました。大学は無事に卒業し、社会人として仕事にも就きましたが、どんな仕事をしたいかということや、これからどんな人生を歩みたいかという自分の意志が、その初めての地球一周の船旅で出会った人たちや経験によって、大きく変わったことは確かだと思います。周りの家族や友人たちには、そんなに好きなことばかり優先して大丈夫なの?という目で心配もされましたが、今振り返っても、その時にやりたいと思ったことを思い切ってやりぬくことができた20代があって本当に良かったと感じています。心配をかけた両親にはこれから親孝行をしていきたいと思っています。

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24歳男 何かをやらないといけないという気持ちになった朝焼け

私が24歳の頃の話です。

私は当時フリーターをやっていましたが、定期的に働くのが嫌で、東京の霊能者に相談しつつ、短期のバイトを集中的にやって、しばらく無職でいるという限りなくニートに近い生活を送っていました。

やりたいと思うことなく、人に言えるような趣味もなく、ただただ生きていただけでした。

そんなある日、私のところに幼馴染みが遊びにきました。
そして、始めたばかりの登山の魅力について、熱く語り始めました。
昔から、感化されやすい性格だったので、私は話し半分に聞いていましたが、ある写真に興味を持ちました。

山々の朝焼けを写したものでしたが、ややピンぼけしていて、お世辞にも上手い写真ではありませんでしたが、何故か心引かれるものがありました。

そして幼馴染みに、
「この景色を見たいから、登山に連れていってくれないか」
と言いました。
幼馴染みは驚きました。
私の性格的に登山をしたいというタイプではなく、むしろ私登山している人をバカにするタイプでした。
そして私自身、自分の心境の変化に驚きました。
そのくらい、その写真には心引かれたのです。

その数日後、幼馴染みの車で夜10時に家を出発し、登山口を目指しました。
到着後、2時間ほど仮眠を取った後、山頂を目指して出発しました。

登山口からはヘッドライトを頼りに登って行きました。
夜の山は、ライト以外は真っ暗で、独特の雰囲気があり、少し恐怖を感じながらの登山となりました。

2時間ほどで、山頂の山小屋に到着し、夜明けを待ちました。
空気は澄んでいて、星も信じられないくらいきれいで、夜明けも期待できそうでした。

そして、徐々に空が白み始めました。
その光景は写真とは比べ物にならないくらい圧倒的でした。
明るくなる空や山肌が刻々と色や表情を変えていき、一瞬たりとも同じ景色ではありません。

私はただ呆然と佇み、雄大で壮大な景色を眺めていました。
おそらく人生初、そして、今までの人生の中で一番感動していたと思います。
そして猛烈に何かやらないといけない、何か新しいことを始めないといけないという思いが溢れました。

下山後、すぐに求人情報紙を買い、アルバイトを探しました。
すると、大型スポーツチェーンの求人を見つけ、私はまさに天啓だと思い、応募しました。

無事採用され、配置されたのが、登山コーナーの横のシューズコーナーでした。
暇を見付けて、登山道具の勉強をし、実際、自分で買うなどした結果、半年後に、登山コーナーを任されるようになりました。

今までとは別人のように働き続け、1年半後には、社員として中途採用されることになりました。

私の人生は、それまで無縁だった登山で見た朝焼けのきっかけに大きく変わりました。
もしあの朝焼けを見ていなかったら、私は半ニートから抜け出すことは出来なかったと思います。
まさに人生を変えた光景と言えます

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